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イアン・マッケランとご飯を食べる妄想短編小説です

カテゴリー:イアン・マッケラン
 母の友人である彼は、わたしが子供の頃から面倒を見てくれていました。元々、母とは仕事上の付き合いだったそうです。女手ひとつでわたしを育てていた母にとって、いつも自宅の書斎で仕事をしている小説家の彼は、幼い子供を安心して預けられる相手だったのでしょう。はっきりと物心がつくまで、わたしは彼を自分の父だと思っていたくらいです。
 彼は仕事の合間にわたしを膝に乗せ、絵本や児童文学、図鑑など、いろんな種類の本を読み聞かせてくれました。わたしが大きくなり膝に座れなくなるころには、彼がどんな仕事をしているか、だいたいわかってきていました。わたしは仕事の邪魔をしないよう、机の傍らに座って静かに読書するようになりました。書斎には読みきれないほどの本があり、まったく飽きることはありませんでした。学校へ行きたくないときは、母に内緒で家へ上がらせてもらっていました。勉強だけはきちんとしないと大人になってから困るよ、今はわからないかもしれないけれど、わかってからではちょっと遅いかもしれないしね、と諭され、ぶうぶう言いながら宿題をやっていたことも、よく覚えています。
 数年前、母は不慮の事故で亡くなりました。大学へ進学する直前の出来事です。彼は、ひとりぼっちになってしまったわたしを心配し、ひんぱんに食事や散歩へ誘ってくれました。またあるときは、恋人を紹介してもくれました。ちょっと照れくさそうに、けれど、すぐに打ち解けられるよう、わたしのことも恋人のことも気づかいつつ。

 珍しく天気も良いし散歩しようかと連絡が入り、いつものように家まで迎えに行きます。彼は薄いピンクのシャツの上からグレーのカーディガンを羽織り、黒いグログランリボンが巻かれたベージュのハットをかぶって出てきました。細身で濃い色のジーンズを履いていて、足首にちらっと見える靴下は、鮮やかな赤い色。ベージュのストライプ柄ストールをふんわり巻いています。と、よく見たら、ストライプではなく、ツタに小さなお花が咲いている柄でした。
 湖のある広い公園が、わたしたちのお気に入りです。観光客が行列を作る小さな博物館の前をするりと抜け、通りを渡って小道へと入ります。彼はいつも博物館の前を通るとき、ハットを少しかたむけて顔を隠すのです。
 頬をなでる風も心地良く、わたしたちは喧騒を離れて歩いていきます。最近読んだ本についての感想を言うと、彼はふんふんと聞きながら、それはちょっと違うと思うよ、と答えます。でも、少しわかりにくい本だから、同じ作家が何年か前に出版したあの本を先に読むと、わかりやすくなるかもしれないね。そのあとで、もう一度読み返してごらん。

 公園を後にし、わたしたちは街角にあるこぢんまりとしたオープンカフェへと向かいました。通りには本屋があり、つい先日出版された彼の新刊が、ずらりと並べられています。大きなポスターも貼られており、彼はまたハットを少しかたむけて、顔を隠すのでした。わたしは、彼が出版した小説をすべて読んだこと、新刊もすでに読み終わっていることを、秘密にしています。きっと、恥ずかしがるんじゃないかな、って。
 紅茶を先に頼み、何を食べようねえ、とふたりでメニューを見ています。彼は老眼鏡を少しずらして、まるで字が読みづらいことを楽しんでいるかのように、ニコニコしています。わたしはスモークサーモンとオリーブのサンドウィッチを、彼は肉が入っていないことを店員に確認してから、トマトとレタス、ポテトサラダが挟まれたサンドウィッチを注文しました。
 とてもお腹が空いていたわたしは、運ばれてきたサンドウィッチを何も考えず手でつかんで食べ始めます。ふと気づくと、彼はナイフとフォークできれいに切り分けていました。わたしの様子に気づいた彼は、マナーのなってない子だねえ、という空気を含みつつも見下すことのない目でわたしを見て、少し笑います。そして、手にしていたナイフとフォークをテーブルに置き、わたしと同じように手でサンドウィッチを口に運びました。彼にとってわたしは、もしかしたら、まだ幼い少女のままなのかもしれません。
 そのとき、彼のスマートフォンが鳴りました。ちょっと失礼、というジェスチャーをしたあと、ナプキンで指の先を拭き、スマートフォンを手に取ります。そして、わたしには見せないような、くったくのない笑顔で何かを話していました。通話を終えた彼が、なんだか嬉しそうに言います。

「パトリックが近くにいるそうだから、あとで合流しようかね」

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